教師が子どもを理解する最初の一歩は,それぞれの子どもから受ける初めの印象からではないでしょうか。特定の他者について,様々な情報をもとに,その人の性格を判断したり行動を予測したりすることを対人認知といいます。そして,特定の他者に関してその人の全体的印象を形成する過程を印象形成といいます。教師と子どもという関係を考える前に,私たちの普段の生活における対人認知を例にして,具体的にこの印象形成について考えてみましょう。
まず,対人認知は,対象の相手によっていくつかのレベルに分けられます。ここでは,山本氏と原氏の例で考えてみます。
レベル0:電車の向こう側に座っている人
レベル1(グループA):テレビに映る人
レベル1(グループB):友人の友人
レベル1(グループC):ひまつぶしの相手
レベル2:相手から一方的にコントロールされている立場の人たち
レベル3:対等に相手に影響を与え合っている人たち
レベル4:私を好きだといってくれる人
まず,レベル0から。このレベルの人たちは,私たちにとっては,「人物」としての意味づけがほとんどない人たちだといえます。次に,レベル1(グループA)。このレベルの人たちは,「人物」としては認識されていますが,相手との相互作用が行われていない人たちだといえます。こちらが,一方的に知っているという状況です。そして,レベル1(グループB)。この人たちは,そういう人がいることは知っているが,相互作用をする気のない人たちといえます。さらに,レベル1(グループC)。このレベルの人たちは,さきほどのグループAとグループBとは異なり,その相手とは相互作用はあるが,その相互作用が一時的で限定的な場合といえます。
次に,レベル2に移ります。このレベルの人たちは,例えば,会社における上司と部下のように,相手に影響を与えられるだけの存在か相手に影響を与えるだけの存在のいずれか一方の状態になります。このような,結果依存状態にあると,自分の統制力を少しでも回復するために,相手を詳細に観察し,性格に次に行動を予測しようとする動機が高まります。
レベル3に移ります。このレベルの人たちは,例えば,共同作業の相手のように,認知者と非認知者が互いに影響を与え合う状態といえます。したがって,どちらも相手を詳細に観察し,良く認知しようという判断傾向となります。
最後に,レベル4。このレベルの人たちは,相手からの好意の側面に関心が集中します。相手からの好意が気になる他者は,そう多くはありません。
いかがでしょうか。対人認知といっても,このように相手を認知する際には様々なレベルが存在することがわかります。では,次に,これを教師の子どもに対する印象形成に当てはめてかんがえてみましょう。さすがに,自分が担任する,または,授業を行う学級における子どもたちと相互作用を取らないということはありません。したがって,レベル0からレベル1(グループB)までに当てはまる子どもはいません。また,レベル4の好意をもつこともありません。そこで,通常の可能性としてはレベル1(グループC)からレベル3の中に入ることになります。学校における教師と子どもという関係を考えれば,レベル2における認知が多くなるのではないでしょうか。しかしながら,教師も子どもも共に刺激し合い,成長していくことを考えた場合,レベル2の認知のみでは適切ではないと思います。会社における上司と部下の関係のような教師と子どもの関係・・やはり,創造すると適切ではありません。
最後に,少し気になることがあります。それは,教師の子ども認知がレベル0からレベル1までに「常に」当てはまっていないかどうかということです。もちろん,1年間を通して教師のそれぞれの子どもに対して同じ認知レベルであり続けることはないと思います。しかしながら,例えば,レベル1(グループC)は相互作用の目的が一時的であり,その目的が達成されれば,この人物への関心は消えていきます。つまり,教師が子どもに対して必要最低限の相互作用しか取らないという場合は,このレベルの認知になります。相互作用すら取らない場合は,レベル0からレベル1(グループB)の認知です。教師は忙しく,また,学級の人数が多くなると,1人1人の子どもを深く理解することが難しいこともります。しかし,改めて,対人認知の知見から教師の子ども認知を検討してみると,担任する子どもが常に「電車の向こう側に座っている人」と同じレベルで認知される状況にあるとすれば,とても悲しいことです。
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